

CMO特別インタビュー
お笑いはケアマネジメントを変える!?-“ケアマネ芸人”特別対談【前編】
- 2022/12/05 09:00 配信
- CMO特別インタビュー
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本サイトのコラム「介護・言いたい放題」でおなじみ、ノン老いる小林こと、小林彰宏さん。そして、故郷・広島でケアマネジャーと芸人の「二刀流」として活動する鹿見勇輔さん。今回は特別企画として、2人の“ケアマネ芸人”によるオンライン対談をお届けします。お笑いとケアマネ業務の間に共通点はあるのか。初対面のコミュニケーションにおけるつかみとは―。ハイブリッドなケアマネ同士の対話をお楽しみください。
―お二人は知り合いだそうですね。
小林 鹿見ちゃん、あれ、5年ぐらい前?
鹿見 コロナ前ですから、5年ぐらい前ですね。最初に小林さんがSNSで…あっ、僕が送ったのか。
小林 そうだ!なんか来たね(笑)。
鹿見 僕が(芸能事務所)タイタンの若手芸人さんを広島に呼んで、ちょうどお笑いイベントをやっていた時で、「タイタン」「芸人」「介護」で検索したら、たまたま小林さんのSNSのアカウントを見つけたんです。
小林 そうそう。「初めまして、鹿見といいます」というメッセージが届いたんだよね。
―TwitterのDM(ダイレクトメッセージ)か何かですか。
鹿見 Twitterですね。
小林 僕は、55歳の時にお笑いの世界に飛び込んだので、同じ“ケアマネ芸人”から連絡が来て、すごくうれしかったのを覚えています。おそらく、心細かったんでしょうね。家が広島だというので、「今度東京に来る機会があったら、一緒にご飯でも食べましょう」という話になりました。
―小林さんがタイタンのお笑い学校に通っていた時ですか。
小林 そうです。介護芸人「ノン老いる小林」を名乗って、学校のライブに出ていた頃だったと思います。鹿見ちゃんがタイタンの事務所に行くために上京することになったので、新宿駅で待ち合わせて、(芸人の)長井秀和さんがやっている焼肉屋に行ったんです。
鹿見 長井さんと(ものまねタレントの)レイパー佐藤さんと4人で食事しましたね。
小林 タイタンの学校で、長井さんがダンスとパントマイムの先生をやっていたご縁で親しくなって、長井さんの焼肉屋へ行くようになりました。そこで、たまたま佐藤さんと出会ったんです。
長井さんと佐藤さんと3人で「『滋養強壮中年団お笑い配達人』というユニットを組みませんか?」という話をしたら、「面白そうだからやりましょう」となって(笑)、介護施設でお笑いをやる計画まで立てていたんですけど、その矢先にコロナが始まって、何も活動できないまま、かれこれ3年が経ちました。
歳の差20以上も、お互い「うらやましい」
―初めて会った時のお互いの印象はどんな感じだったんですか。
小林 僕は、礼儀正しい好青年だと思ったのを覚えています。
鹿見 僕は…とにかく、「おじさんだな」っていう印象です(笑)。ずっとSNSでやり取りしていたし、「東京においでよ!カモン!」みたいな感じで乗りもいいし、タイタンの学校に行ってるみたいだし、勝手に若いイメージを持っていたんですよ。でも実際にお会いしたら…「わー、おじさんだー」と(笑)。
「一緒にご飯」って、どこかやばいところに連れていかれるんじゃないかと、不安に思った記憶があります(苦笑)。
小林 いやー、申し訳ない(苦笑)。
―小林さんが、55歳でお笑い学校に入ったことを知った時、鹿見さんはどう思いましたか。
鹿見 タイタンって、「●●×芸人」ということを考えて学校をやられているので、「社会人枠」というのもあって、僕もずっと行きたいと思っていたんです。だから、とにかくうらやましかったですね。小林さんと出会った時、僕は介護の仕事をしている時間の方が長かったので。
―鹿見さんは高校卒業後にお笑い学校に入って、挫折して地元・広島で介護の仕事を始めた後で、芸人の活動を再開させたわけですけど、小林さんはそれを知ってどう思われましたか。
小林 とりあえず、「あー、先輩だ!」と思いましたね(笑)。
真面目な話、うらやましいと思いましたよ。僕もお笑いが大好きで、小学校の卒業文集で「将来コメディアンになりたい」とまで書いたのに、気が付けば受験戦争に巻き込まれて、中学・高校時代はザ・ドリフターズとかオレたちひょうきん族とか、当時のお笑いとはほとんど縁のない生活を送っていましたから。
それに、昔はお笑い学校のようなものはありませんでしたからね。今だったら100%、お笑い学校に行っていると思います。
“ノン老いる流”初回訪問の鉄板ネタ
―お笑いとケアマネ業務って、何か共通点はあるんでしょうか。
鹿見 共通点かどうかわかりませんが、僕は舞台に立って、人前で話したり笑わせたりするためのトレーニングというか、そういった積み重ねをやってきたので、初対面で動じなくなりましたね。相手の表情を見て「楽しくなさそうだな」とか、「よくわかっていないな」とか、気持ちを察する力がついたんだと思います。
小林 僕もそういうところはたぶんに感じています。お笑いを学んだことで、ケアマネの初回訪問の時も、「ちょっとでも笑わせたい」という意識が芽生えた気がします。これは大きな成果だと思いますね。
70代や80代のおばあちゃんに会った時の僕の鉄板ネタがありまして…こんな入りです。
「初めまして、小林と申します。いやー、今日はうれしいです。だって…あの吉永小百合さんに会えたんですから!」という感じ(笑)。
するとおばあちゃん、「あら嫌だ!」と目を細めて、そこで笑いが起こるんです。もちろん、何の反応もないこともありますけど、その時は苦し紛れで、「すみません…芸人をやっているもので、こんな入りになってしまいました」と言って逃げます(笑)。吉と出るか凶と出るか、それを楽しみながらやっているところはありますね。
鹿見 わかるわかる(笑)。女性の利用者さんなら割と笑って許してくれるんです。異性だからか、歳が若いからかわからないんですけど、でも、相手がおじいさんだと、「あっ、なんや!」って怒られますよ(苦笑)。
困難ケースの依頼も「うれしい」
―ケアマネ業務をやっていて、お笑いを学んで良かったと感じる瞬間はありますか。
鹿見 包括(地域包括支援センター)や役所から、困難ケースを依頼された時にそう感じますね。「鹿見さんならなんとかしてくれるだろう」とか、根拠のない理由で押し付けられているのかもしれないですけど、「この人ならやってくれるだろう」と期待されている気がして、なんだかうれしいんです。
―お笑いをやっていることで、ケアマネとしても一目置かれているという感じでしょうか。
鹿見 そんな気もしますね。ケアマネをころころ変える利用者さんとか、大変なケースを依頼されることも多いんですけど、それがある意味、喜びになっています。
―小林さんはいかがですか。
小林 場の雰囲気が重たい時、その空気を自分のしゃべりで変えられたと感じた瞬間は、学んだことが生きていると思います。
先日もこんなことがありました。計画作成にも関わっているグループホームの連絡会議で、真面目なケアマネさんが、「女性の利用者さんが『施設の中で“黄門様”を見て怖かった』とおっしゃっていました」と報告したんです。
それを聞いてみんな、「テレビの『水戸黄門』でも見て、怖い思いでもしたのかな。大変でしたね」という感じだったんですけど、ある職員が「どこで見たんですか?」と尋ねたら、そのケアマネさん、「廊下で」と言った後で、こう続けたんです。
「『おじいさんが全裸で歩いていた』とおっしゃっていました」―。
要は「肛門」違いだったんですよ(笑)。その時、僕が思わず、「そっちかい!」って突っ込んだら、場の重い空気が一瞬にして変わりました。
グループホームなので、この手の話題は空気が重たくなるんですよね。「認知症が悪化したんじゃないか」とか考えてしまうので。僕もお笑いをやる前だったら、「ああ、そうなんですか」と、冷静に受け止めていたと思います。でも、普通の人が聞いたら「面白い」じゃないですか。
僕は介護現場を明るくしたいと思って、55歳でタイタンの学校の門をたたいたので、現場の空気を変えられるようになったことが、非常に大きな喜びになっています。
お笑いで新人ケアマネを“訓練”
―読者の中には、あまりコミュニケーションが得意じゃない方もいると思います。初対面の人と接する時のコツやアドバイスがあれば、ぜひお聞きしたいのですが。
鹿見 人前で話をするのが苦手なケアマネで、「担当者会議の進行がうまくできない」と言っている方を見かけることがあります。おそらく恥ずかしがって、自分にブレーキをかけていると思うんです。
「うまくいかないだろうな」とか、「どういう会話になるんだろう。怖いな」とか、勝手にできないと思い込んでいるんでしょうね。でも少々噛もうが、相手に伝わりにくい表現をしたとしても、それを恥と捉えず、一歩前へ踏み出してもらえたら、ケアマネの会議の進行スキルって、絶対に上がると思います。
ぶっちゃけ、会議が終わって1時間も経てば、会議の細かな内容なんて誰も覚えていないので、思い切ってやってほしいですね。
小林 うちの居宅は、僕を含めて10人のケアマネがいるんですけど、僕以外全員、女性なんです。みんな、僕がしゃべり負けるぐらい、本当によくしゃべるの(笑)。
鹿見ちゃんが言ったケアマネさんも、若い時は恥ずかしい気持ちがあったと思うんですけど、60前後になると、それがなくなるみたいです。だって、ずっとしゃべってますから(笑)。
―ケアマネになりたての人にアドバイスするとしたら、いかがでしょう。
小林 うちの居宅に、8月に入社したばかりの58歳の女性がいます。この方はもともと保育士さんで、あまりしゃべりは得意じゃないみたいなんです。それで僕は入社以来、その方の会話にツッコミを入れたりボケたりして、しゃべって笑わせるということを毎日やっています(笑)。
―“ノン老いる流”のトレーニング法なんですか。
小林 そうですね。おそらく、うちだけだと思います(笑)。
―トレーニングの成果は出ていますか?
小林 1週間ぐらい前、その方の脳みそが“膿んでいた”んです。新規の案件がいっぱい入ってきて、あれもやんなきゃなんない、これもやんなきゃなんないと、完全にオーバーワークでした。
彼女がパソコンに向かってため息をついて、ぶつぶつ言いながら眉間にしわを寄せていたので、僕は思わず、「結婚してください!」って言ったんです(笑)。そしたら彼女、鳩が豆鉄砲食らったような顔をして、2秒ぐらいフリーズしました。その方も同じ独身なので。
その2秒ぐらい後に、「少し気が軽くなった?」と言ったら、向こうも冗談だとわかっているので、「ありがとうございます」と笑顔になりました。
鹿見 もし、「わかりました。よろしくお願いします」と言われたら?
小林 そしたらもう、行くところまで行くしかないかな(笑)。
お笑いを学ぶ前だったら、「無理しなくていいよ」とか、「根詰めなくていいよ」とか、ありきたりな言葉しか出てこなかったと思うんです。でも今は、冗談を言い合いながら、少しでもストレスを発散してもらっています。
取材・構成/敦賀陽平
- 小林彰宏(こばやし・あきひろ)
- 1964年静岡市生まれ。大学卒業後、高校の英語教師として働いていたが、40歳という人生の節目を間近に控えた38歳の時、介護保険制度の創設を好機と捉えて転職。その後、介護施設を中心に経営支援などを行う。現在、同市内で居宅介護支援事業所「ケアプランはるな」を運営する株式会社はるな代表取締役。ケアマネジャー、主任ケアマネジャー。静岡県介護福祉士会監事。共著書に「これならわかる スッキリ図解 介護事故・トラブル」(翔泳社)がある。現在、YouTubeの「WARAKAI(笑う介護)チャンネル」で動画配信中。
- 鹿見勇輔(しかみ・ゆうすけ)
- 1986年広島市生まれ。高校卒業後、吉本興業のNSC東京校の11期生となるが、同期の志の高さを痛感して挫折。その後、母親が介護の仕事をしていた関係で、介護福祉士、社会福祉士、精神保健福祉士、主任ケアマネジャーなどを取得し、2011年に広島市内で介護事業所を運営する「有限会社めぐみ」に就職。2013年秋、デイサービスで落語を披露したことをきっかけに再びお笑いの道へ。現在、居宅介護支援事業所などを運営する傍ら、“ケアマネ芸人”として地元のラジオ番組に出演しているほか、広島県介護支援専門員協会・広島市南区ブロック長などの要職を務めている。
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