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「介護保険の生き字引」が語るケアマネの歩み /武久洋三(医師、ケアマネジャー)【前編】

日本有数の規模を誇る「平成医療福祉グループ」の創始者で、長年、日本の医療・介護業界をけん引してきた武久洋三さんが、この6月で14年務めた日本慢性期医療協会の会長を退任した。ケアマネジャーの1期生でもある武久さんは、日本介護支援専門員協会の前身にあたる全国介護支援専門員連絡協議会の立ち上げに関わるなど、ケアマネ業界の発展にも貢献してきた。「介護保険の生き字引」を自認する武久さんに、自身とケアマネの歩みを振り返ってもらった。

武久洋三さん

―なぜ医師を志そうと思ったのですか。

実は、もともと医者になるつもりはありませんでした。私は体がちょっと弱くて、高校生の時は外交官になろうと思っていました。8つ上の兄貴が医学部に行ったんで、その影響で医学部を受けることにしました。実は大阪外国語大学も受けていたんですけど、医学部に通ったので、そのまま医学部に行くことにしました。

―1984年1月に、徳島に病院を開設して独立します。

42歳の時です。医者になった時から、「いずれ独立してやろう」と思っていました。最初から組織化を考えていたので、60床ではありましたが、病院を造ったわけです。ベッドがすぐいっぱいになって、淡路島から「病院が少ないから来てくれ」と頼まれて、そこから関西の方に進出していきました。

―今、グループ全体で病院の数はいくつあるんですか。

山口から千葉まで27、特養や老健など、介護施設は72あります。これらのベッド数を合わせると約9千床あります。

―この38年間で、ベッド数は150倍になったんですね!

そうですね(笑)。あまり意識はしてきませんでしたが、徳島で小さな病院を始めてから、少しずつ大きくなっていきました。

ケアマネ試験問題集 「めちゃめちゃ売れた」

―1999年にケアマネの資格を取りました。1期生ですね。

そうです。最初のケアマネです。

ケアマネ試験は、介護保険制度ができる2年前から始まりました。1998年ですね。それで、最初に受けることになったんですが、私は介護保険のことをある程度勉強していたので、当時、全国で「ケアマネ受験対策講座」というのをやりました。

―先生が講師を務めたんですか!

はい。それで、問題集を10冊ぐらい出しました。どこにもなかったんですよ。テキストも問題集も何もなかった時に出したので、めちゃめちゃ売れました(笑)。

―受験生が対策本を作って販売するとは…。すごいですね!

問題集がたくさん売れたのと、全国から講演依頼がありまして、北海道から沖永良部島まで行きました(笑)。本当に、進取の気性に富んだ動きをしていましたね。だから私は、介護保険に関しては生き字引みたいなものです(笑)。

―1期生のケアマネさんは、先生の対策本で勉強されていたんですね。

最初の方は全部そうでしょう。他に問題集がなかったんですから。テキストができたのもずっと後の話です。

ケアマネ協会の創設にも尽力

―ケアマネを取られたきっかけは何だったんですか。

慢性期医療をやっていたので、ケアマネの試験を受けたのは自然な流れでした。介護保険が始まる前から、デイサービスも訪問介護もやっていましたから。

当初は、医師や看護師など医療系の受験者も多かったんです。医師の場合、介護保険制度について勉強するために受験するケースがほとんどで、私も徳島でみんなに「受けろ、受けろ」と言って回りました。徳島県の医師会長にまで受けてもらったほどです(笑)。

それはやっぱり、介護保険制度について熟知していないと、これからの医療経営はやっていけなくなると思っていたからです。実際、今経営がうまくいっている人は、あの当時から、介護保険と医療保険の両方をしっかりと勉強してきた人です。「俺は医者だから」と言って、介護保険のことを何も学んでこなかった人は、経営で苦労していますね。

―当時、現場の皆さんは、ケアマネにどのような期待を持っていたんでしょうか。

これから介護保険制度が始まるわけですから、国民が介護保険の知識を得るまでには、だいぶ時間がかかりますよね、ケアマネは、言うなれば制度の“説明係”みたいなものだったわけです。さまざまな職種に受験資格を与えたので、最初は何十万人も受けました。ケアマネ制度は、国の成功でしょうね。それによって、制度が浸透しやすくなったと思います。

―創設当時、ケアマネを国家資格にしようという動きはなかったんですか。

国の方はありませんでした。ただ、ケアマネ協会は私達が作りました。全国介護支援専門員連絡協議会というのを作ろうという話になって。

―現在の日本介護支援専門員協会の前身ですね。

そうです。最初に、徳島に県の介護支援専門員協会を作りました。そこは薬剤師の女性の方に会長になっていただいて、私は中央の方に向いていったんです。当時はいろんな人が出てきて、とにかく競争をしていましたね。私は病院・施設経営者なので、もともと、協会の運営に入るつもりはありませんでした。

「要介護者は急性期病院でつくられる」

―2005年の法改正に伴い、地域包括支援センターが創設され、予防給付と介護給付に分かれます。居宅のケアマネにとって大きな節目といえますが、当時、これをどう受け止めましたか。

介護給付費のボリュームが増えてきて、このままだと保険料がどんどん上がってくる。それで、要支援者を少し抑えようということで、地域支援事業をつくり、要支援者の支給限度額を下げたんですね。それで、要介護者に注力しようと考えたんですが、その後も、要介護者の数は右肩上がりです。

要介護者は、急性期病院でつくられていると言っても過言ではありません。高齢者は夜中、トイレに2、3回は行きますよね。そこで転倒されると病院の責任になるので、膀胱にカテーテルを入れたり、身体拘束をしたりする。それが2週間も3週間も続いたら、それは要介護者になりますよ。

“流れ”は元から絶たないと駄目です。急性期病院の病棟に介護職やリハビリ職を配置して、要介護者をつくらないようにしなければなりません。

要介護度が軽くなると、事業者の収入が減るという制度そのものにも問題はあります。要介護度が下がったらご褒美を与えるとか、何かしらのインセンティブがないと、現場は変わっていかないのではないでしょうか。

「かかりつけケアマネ」ができない原因

―かかりつけ医と同じように、「かかりつけケアマネ」が必要だというのが持論です。

当然、必要です。

―なぜ、その仕組みができないのでしょうか。

ケアマネの独立性を保つことが難しいことが背景にあります。ケアマネ自身は、利用者の「かかりつけケアマネ」だと思っているんです。

でも、ケアプランを決める際は、利用者よりも家族の意向が反映されがちなので、家族から「こんなサービスを入れほしい」と言われて、「それは利用者さんのためには良くないと思います」とは言いにくい。下手をすれば、クビになることもありますから。

家族からすれば、できるだけ安くて、効率の良いサービスを受けたい。そして、手間がかからないようにしてほしい。それぐらいの気持ちでしょうね。ケアマネと利用者、そして家族との気持ちのすれ違いが、「かかりつけケアマネ」がうまく行かない要因だと思います。

取材/敦賀陽平、ただ正芳 構成/敦賀陽平

武久洋三(たけひさ・ようぞう)
1966年、岐阜県立医科大卒業。阪大医学部附属病院でのインターンを経て、71年に徳島大大学院医学研究科修了。医学博士。84年、徳島市内に博愛内科病院(現博愛記念病院)を開設後、徐々に規模を拡大。現在、病院27カ所、介護老人保健施設11カ所、特別養護老人ホーム27カ所などを有する平成医療福祉グループの会長として、組織運営など携わる。日本慢性医療協会名誉会長、日本介護支援専門員協会相談役など要職多数。日本内科学会認定内科医。日本リハビリテーション医学会認定臨床医。ケアマネジャー。

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